古賀稔彦(こがとしひこ)さんが亡くなったと報じられました。
古賀さんは柔道家で、バルセロナ五輪では金メダルを獲得しました。
平成の三四郎の異名をとった古賀稔彦さんの53歳という若さでの突然の訃報に驚きました。
古賀稔彦さんの死因は?病名は?痩せていたっていうけど何の病気だったの?
さっそく調べてみましょう。
古賀稔彦さん死去の速報
古賀稔彦さんの死去は、速報で報じられました。
53歳という若さでの突然の訃報に驚かされました。
24日朝、自宅で亡くなっているのが見つかったということで、亡くなった原因はまだわかっていません、と報じられました。
1992年のバルセロナオリンピックの金メダリストで、柔道家の古賀稔彦さんが亡くなりました。53歳でした。
24日朝、自宅で亡くなっているのが見つかったということです。亡くなった原因は、まだわかっていません。
引用:TBS NEWS
【速報】柔道家の古賀稔彦さんが亡くなりました。53歳でした。けさ自宅で亡くなっているのが見つかったということです。亡くなった原因はまだ分かっていません。古賀さんは1992年、バルセロナ五輪で金メダルを獲得、豪快な柔道で「平成の三四郎」と呼ばれました。#古賀稔彦 #柔道 pic.twitter.com/d0UyU8M9vY
— TBS NEWS (@tbs_news) March 24, 2021
バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級金メダリストで、切れ味鋭い一本背負いで「平成の三四郎」と呼ばれた古賀稔彦さんが亡くなったことが24日、分かりました。53歳でした。
写真はバルセロナ五輪で優勝を決めた瞬間の古賀さんです。
ご冥福をお祈りします。(志) pic.twitter.com/LYWssG32nk
— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) March 24, 2021
古賀稔彦さん死去 53歳 バルセロナ五輪柔道金「平成の三四郎」 https://t.co/vDhSmldCUG
— 毎日新聞ニュース (@mainichijpnews) March 24, 2021
「平成の三四郎」古賀稔彦氏死去 バルセロナ五輪金https://t.co/i5eUS0RMFo
— スポーツナビ (@sportsnavi) March 24, 2021
古賀稔彦さんを悼む声
古賀稔彦さんの突然の訃報に、ネット上には古賀さんを悼む声があふれました。
えっ!
柔道で金メダル取ったみやき町(旧北茂安町)出身の、
古賀稔彦さんが亡くなったと、
ニュースで放送されました。
聖火リレーで、みやき町を走る予定だったのに、
残念です。
ご冥福お祈り致します。— ツカッチ 「Go!」サガン鳥栖と自分 (@FOTO1018) March 24, 2021
先生、、、
それはないじゃないですか!涙
古賀稔彦という柔道家は、
僕のヒーローでした。
可愛がって頂きました。
あんまりです!信じない!
ご冥福をお祈りしますなんて、
言いたくない!ただただ、
ありがとうございました、、、#古賀稔彦— 松山三四六(公式) (@m_sanshirou) March 24, 2021
平成の姿三四郎
古賀稔彦さん…
まだまだ
これからでしょう…。
悲しすぎるよ。
オリンピックの
あたなたは
強かった…。
ご冥福をお祈りします。#柔道#古賀稔彦 pic.twitter.com/2cFL8Qscxw— ganyuzu (@GANGANsama) March 24, 2021
古賀稔彦さんが~…😭😭😭古賀選手の、元祖膝をつかない直立の一本背負いが本当に鶴のように美しく鮮やかで本当に大好きでした…まだ全然お若いのに残念です。ご冥福をお祈りいたします。
— 小野ユーレイ: (@naoesdoodle) March 24, 2021
あの強かった古賀稔彦さんが逝去…。かつては暴力も当たり前の風潮だった柔道界で「体罰は指導の放棄」「指導者も学ばなければならない」と2013年のインタビューできっぱり語っていました。偉大な先輩方と乱取りをしている姿が浮かんできます。謹んでお悔やみ申し上げます。 pic.twitter.com/yTJAWRaWly
— しんぶん赤旗日曜版 (@nitiyoutwitt) March 24, 2021
古賀稔彦さんの死因を知りたい
古賀稔彦さんの訃報に、なぜ亡くなったのか、死因を知りたいという声もたくさんあります。
53歳で亡くなったことと、自宅で亡くなったこと以外はまだ報じられていませんから、病気だったのか、病名が知りたい、死因はなんだったの?と思う人が多いのはあたりまえですね。
だから、古賀稔彦さんが、なぜ亡くなったのかを知りたいのよ。
ただ亡くなっただけでは、え?なぜだと??古賀稔彦さん名言
「壁を超えた先に何があるのか分かりました。それは次の壁です。」
この言葉が大好きです。— 閃きの法則 (@Hirameki100) March 24, 2021
古賀稔彦さん,53歳って若すぎる・・・
古賀さんは去年ガンの手術を受けて、療養を続けていた
ご冥福をお祈りします pic.twitter.com/6UJHtCmOVs
— hitopyun🇯🇵🌸 「今日もいい日だっ!」 (@hitopyun_v) March 24, 2021
古賀稔彦さんの病名は癌だった
古賀稔彦さんの病名は癌だったことがわかりました。
鮮やかな背負い投げを持ち味に「平成の三四郎」と呼ばれたバルセロナオリンピック、柔道の金メダリストの古賀稔彦さんが24日、亡くなりました。
関係者によりますと、古賀さんは去年がんの手術を受けて、療養を続けていたということです。53歳でした。引用:NHK NEWS WEB
壮健そのものに見えた古賀稔彦さんも、癌には勝てなかった、ということなんでしょうか。
がんで闘病中であることも存じ上げませんでした。
月並みな言い方ですが、古賀稔彦さんほどに鍛えぬいた肉体も、強い精神力も、病魔には勝てないことがあるという現実に打ちのめされる思いがします。
24日朝、自宅で亡くなっているのが見つかった、亡くなった原因はまだわかっていないと報じられていますから、死因は癌ではないのかもしれません。
自宅で亡くなっているのが見つかった、というのは、誰にも看取られず亡くなったということなんでしょうか…気になります。
続報があれば追記していきます。
追記します。
古賀稔彦さんが亡くなられた時の様子がわかりました。朝、起きてこないので起こしに行った奥さまが、亡くなっていらっしゃるのを見つけられたようです。眠っているあいだに息を引き取られたんですね。
ご家族が気付かないうちに亡くなってしまわれたようですが、大往生ですね、ご立派でした。
亡くなった状況については、「今朝、お嫁さんが起きないからきないから『起きて』って。そうしたらもう起きなかったから、ということで。お嫁さんのお母さんに電話入れたら、そうんなふうにおっしゃっていました」。1番の思い出を問われると、バルセロナ五輪の金メダルを挙げ、「親を喜ばせてあげたいっちゅうのがあの人の夢やったのかも。自分も一生懸命、涙ながしとったけんうれしかったんでしょうね」と、しみじみ話した。
引用:BIGLOBEニュース
古賀稔彦さんの略歴
古賀稔彦さんは1967年11月21日、福岡県生まれで、小学校一年生から柔道を習い始めました。
世田谷学園高等学校、日本体育大学卒業。
豪快で鮮やかな一本背負い投げの美しさに「平成の三四郎」と呼ばれました。
1988年のソウルオリンピック、1992年のバルセロナオリンピック、1996年のアトランタオリンピックの3回、オリンピックに出場しています。
バルセロナ五輪では選手団主将を務め、左ひざを負傷しながらも金メダルを獲得しました。
2000年に現役を引退、全日本女子柔道チーム強化コーチを務めながら、子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を神奈川県川崎市高津区に開塾して、柔道を通じて子供を育てる事業に注力していました。
お子さんのうち長男の古賀颯人さん、次男の古賀玄暉さん、長女の古賀ひよりさんは共に古賀塾で育った柔道家です。
古賀稔彦さんの家族写真
古賀稔彦さんの次男、古賀玄暉さんのインスタグラムに、とても幸せそうな家族写真が公開されていましたのでシェアさせてもらいます。
コメントに、「ひよりちゃんの前撮り」とありますから、成人式を前に家族で記念撮影されたんでしょうか。
投稿は22週間前、古賀さんが少し痩せていらっしゃるのがわかりますね…
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古賀稔彦さんの柔道人生も、家庭生活も、お幸せでよかったです。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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